おきなのひとりごと(松の木は見ている)

昨日の昼はレストラン『苗ハウス』での昼飯とした。毎週木曜日は弁当の特売日に付き弁当に決めている。浮いた差額で好物を付け加えた、雪景色を見ながらの昼食であった。

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食後テーブルに使ったのじ板で作られた蓋の裏に書かれた父の文字を見つけた。晩年の父の文字である。

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使用後はちゃんと『かたずけろ』と理由まで記されている。かたずけが大の苦手なおきなにとっては頭の痛いコメントである。

今日はその父について書くことにした。 父は名前を『都喜美』と書き「つきみ」と読む、生まれは明治37年1月10日と戸籍上な成っているが実際は前年の「月見」の頃生まれたらしい、その頃祖父が日露戦争に従軍しており帰って来てから届けでをしたらしいと聞いている。

その事実を見つめているのは庭にある松の木であろう。

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その父が一昨年五月に生涯を終えた。明治、大正、昭和、平成を見続けながら享年105歳で大往生をとげた。余談になるが母は明治36年生まれで102歳で生涯を終えた。特記すべき事はそろって100歳を迎えられたことである。

父はこの地で生まれ、若き頃今の呉市にある海軍の造船所に勤めて居り、その地で母と知り合い結婚9人の子供をもうけた、その子供の末っ子がおきなである。終戦を区切りに故郷に帰り98歳までこの地で暮らし、最後は広島にいる次兄と四姉の元で暮らしながら生涯を終えた。

父にとって心残りは後を託た長男が56歳で他界と次に託した四男の62歳での早死にあったろう。

長男の死後義理の姉も三年後他界した為父母二人暮らしとなるも大病を患わずの生活で兄弟が集うことなく帰省支援したが父、母ともお互いの最後は自分で見届けるとの思いでの夫婦生活が長生きの支えとなったのだろう。

そんな訳で最後の氏を持つおきなが「松の木」とともに単身赴任で父の生まれた地で暮らしている。我が子達は広島生まれの都会暮らし、とても田舎暮らしはしないであろうが、この先どうなるか分からない日本の情勢の中で暮らす子供達を父の遺影と松の木の下で見守るおきなである。

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